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哲学ハ御好キデスカ

友人と遊んだ時、友人が延々「哲学」をしていた。

私は、自分の考えを哲学チックに喋る、と言うのがどうにも苦手なので、友人の話を聞いていただけだった。

友人が、何について哲学していたのか忘れたけれど、確かに哲学は一生掛かりそうですね。

まぁ…、哲学は頭を使うっていうよりは、今考えている事態を裏付けて、更に今の考えに繋がることを考えなければいけないってとこで疲れるんじゃないのかと思うんだが。

その感じた事を順序立てて整理する時や、自分の考えた事に言葉を当てはめていくって言う作業に頭使うあたりで疲れそう。

でも、本を読まない人間(字が読めない人間)でも哲学は出来るから、頭の善し悪しよりも、感受性・洞察力・体験が、哲学には必要な要素だとは思うけどな。

特に感受性が強い人間なんかは、体験せずとも自分の感じた想像の中だけで色々体験出来ちゃうから、なんか色々大変そうだよね。

それよか、哲学向きの人間と、哲学に不向きな人間がいるとしたら、私はかなり不向きな人間だ。


なんでかって、すぐに極論に達しちゃうからだ。

なんといえばいいのか、根本の問題と結論の間に、中間の考えがあんまりない。

例えば、バーゲンに行ったとする。

どうせ30%オフでもお金出すことには変わらないから、買わなければいい。

と、なってしまう。

でも、これなら時期関係なく着回し出来るし、買っておこうかな。とか

元の値が高いし、少しでも安くなってるなら買って損じゃないかな。とか

そういう風な「でも~かもしれない」って考えをしないようなもんなんだ。
中間の考えがないっていうのは。

要するに、頭が固いってことだな。

作品を創ったり、文章を書いたりっていう時に「こうしたら面白いんじゃないだろうか」って考える時は、展開の選択肢が割りとあるのに

自分の生きるうえでの行動を決める選択肢は、限りなく狭い。

展開の選択肢が多いのは、展開を何も考えていない状態で書き始めるから、頭の中に何かが浮かぶスペースが空いているという事だ。

よく、先の事を考えて行動すると、その先の予定や起こりうるかもしれない事態の想像に囚われて、考えすぎて動けなくなるもんでしょう。

それと同じなんだ、私の中では。

作品の場合は
最初から何も決めない→適当にやってるうちに、こうしたらおもしろいかも?
と、なる。

性格の場合は
最初から色々考えすぎる→不安になる→だったら不自由だけど、今のままなら安定していられる。
と、なる。

性格と、想像する脳は、別のようです。

こう、先見能力が皆無のくせに極論しか出せないから、すぐ絶望するわけです。


何の話だっけ?

ああ、哲学ですか。

なんつーか


全ての人がそうとは言わないけれど、哲学本とか読み漁るタイプの人間て、あんま自分自身の答えを持ってないよな。


自分A「それはね、自分の意見となる答えを、全て書の中から引き出そうとするからです」

自分B『いや、でも、本から引き出したり引用したりってことで、今考えている事に対する意見や答えが出たら、それはもうその人の意見なんじゃないんだろうか?』

自分A「でも、自分の体験や考えから出た答えでは、ありませんよ」

自分B『本を読んだり、調べたりする事も体験なんじゃないのか?』

自分A「カンニングみたいなものでしかありません」

自分B『カンニングは決まっている答えを見ることを指す、でも、自分自身の求める答えには決まりというものがまだないから、カンニングではないと思うんだけれど』

自分A「しかしですね…」


以下略


こういう具合に、哲学はし始めると際限がなくなっちゃう。

だから、哲学なんてやるより、雑学の本を読みましょう。

哲学は、所詮先人が生み出した暇つぶしでしかない気がする。
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2007-03-06 23:07 : 雑記 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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